2018.6.19
この記事を書くこと自体がつらい作業だ。でも書こう…
先日、うちのタマ(猫)が亡くなりました。
生き物を飼うということ。ちいさな家族にたくさんのことを教えられました。
大学4年の秋ごろ、猫の赤ちゃんがいるから飼ってあげてほしいと言われ、一時的に預かったのがきっかけで、そのまま18年8ヶ月いっしょに暮らすことになったタマ。人によくなつく性格で家に来る友人にも可愛がられました。
福岡からいっしょに東京へ引っ越してきたタマ。よくネズミや鳥を捕まえて見せにきました。
1〜2歳のころ↓
それから15年。冬の寒い日は人の上に乗ってきたり、布団に入ってきたり。あたりまえのように家族として過ごし、かわいいしぐさでたくさんの笑顔をもらいました。
その後、沖縄移住を決意。タマはすでに15歳を超えていて、飛行機による移動のストレスが心配でした。
長距離移動をなんとか耐えて沖縄上陸。沖縄での暮らしが始まります。ちなみに動物を飛行機で運ぶときは貨物扱いになるので客室に入れません↓
「猫と人間の年齢換算表」によると猫の15歳は人間の76歳に相当するそうで、タマも体重は減って体力も落ち、皮膚炎や甲状腺機能亢進症などの症状が出はじめていました。
根本治療は難しいものの、エサを医療用に変え、抗生剤や消炎剤を使い普段の生活に支障がないレベルに症状を抑える対症療法を続けました。
しかし、いよいよ18歳をすぎて足腰が弱ってきました。人間の年齢でいうと90歳くらい。そんなときに僕は大変な失敗をしてしまいます。
もともと外で遊ぶのが好きだったタマ。その日は天気も良く、タマは玄関で「外に出たい」アピールをしていました。ドアをあけると外に出て座り、ひなたぼっこをしているようでした。しばらく動かず座っているので、玄関のドアを(部屋に戻れるように)半開けにして僕は部屋に戻りました。
それから1時間ほどして様子を見に行くとタマがいない。
「部屋に入ったのかな?」
玄関の目の前の通路にタマがいないので、部屋の中に戻ったのかと思い探すもやはりいない。
「まさか、1階に降りたのか?」
うちは2階で共用通路の先には階段があります。最近は足腰が弱り、この階段を自分で降りることはなくなっていました。心配になって1階の駐車場に行くと横たわっているタマを発見!! しかも肛門に血がついている!
階段から落ちたのか、車にひかれたのか、原因はわかりませんが、とにかくただ事ではないと病院につれていきました。
レントゲンの画像を見せてもらい、骨盤を骨折していると説明を受けました。矢印の部分が折れています。
まさかこんなことになるなんで…
高齢の猫から目を離すなんて…
後悔。後悔しかない。
この事故がなければ穏やかな老後を過ごせていたはずなのに。
回避できたにもかかわらず、不注意だった自分を悔やみました。
特殊な金具で骨盤を固定する大手術は成功しましたが、タマは10日間の入院 + 手術のダメージでかなり弱り、獣医師からは「もう歩くことはできないだろう」と言われていました。しかしタマはあきらめず必死に起き上がろうとしています。
タマの体に合わせた歩行器を作ってリハビリをすることにしました。最初は後ろ足にまったく力が入らないようでしたが、毎日リハビリをがんばりました。すると、よろけながらも少しずつ歩き始め、退院後2週間ほどで歩行器なしで歩けるまでに回復したのです!
事故後、初めて自力で歩いたとき、本当にうれしく希望を感じました。
首にあけたカテーテルからの流動食、自力で食べたエサから食べ残しを引いた量を記録して栄養管理表を作りました。摂取カロリーは目標値を超えて確実に回復していると実感していました。
しかし手術から1ヶ月以上たったある日、極端にエサを食べなくなり、ぐったりしてしまいました。前日まで活発に歩き回っていたのに、突然この状況。「明日、往診の獣医さんに診てもらおう」と思っていたその日、タマの呼吸が止まってしまいました。
動物は言葉をしゃべることはできませんが、態度で意思は伝わります。タマからは、あきらめず生きる意思が伝わっていました。「だから僕も最大限その意思に答えるべきだ」そう決意して看護・介護をしていました。天国に旅立ったタマに伝わったでしょうか。
最後までがんばって生きぬいたタマ。別れは悲しいことですが、幸せな人生(にゃん生)だと満足して旅立ったと信じ、お礼を言いたいと思います。 18年間ありがとう。お疲れさま。
18歳の誕生日の様子です。
ケーキは人間がおいしくいただきました。
おわり