2019.11.8
The War Memorial of Korea
韓国ソウルの戦争記念館に行ってきました。朝鮮戦争に関する展示を中心に、ガイドさんに解説してもらいました。戦争記念館はソウル駅からも近く、地下鉄の三角地(サムカクチ)駅を出てすぐのところにあります。
正面の広場にある旗は、朝鮮戦争時に韓国に早く来た順番で配列されているそうです。
展示物が多くて、じっくりと見るには半日以上時間がほしいと思いました。建物内のホール左側のインフォメーションで申し込むと、日本語のガイドさんによる、詳しい展示物解説を無料で受けることができました。入場料も無料です。
入口は建物2階部分になります。
航空機などの屋外の展示は建物に向かって右側のエリア。
1階 先史時代の軍事遺物
近代以前の戦争に関する展示です。
下の写真は豊臣秀吉の朝鮮出兵時に日本軍と戦った、朝鮮水軍の亀甲船。
2階 朝鮮戦争
朝鮮戦争(韓国戦争)開戦から休戦までの経過がわかる展示ですが、全館的にほとんどの展示が、韓国語と英語による説明なので、日本語ガイドを利用したほうが良いと思います。
3階 朝鮮戦争と韓国軍の海外派兵
韓国軍の歴史と、現在までの武器の発達について。イージス艦の模型などが展示されています。
屋外 航空機や戦車、戦闘艦の展示
主に朝鮮戦争で使われた航空機や戦車など160点余りが展示されています。
屋外で戦闘機などを見るのもおもしろいですが、見どころはやはり2階の朝鮮戦争に関する展示だと思います。開戦から休戦まで、細かく説明されていて勉強になりました。2階を中心にガイドさんに説明してもらいながら見てきました。
1945年8月15日、日本の敗戦によって朝鮮半島は日本から独立しました。
日本軍の武装解除のために、北にはソ連が、南にはアメリカが入り、38°線で分断されてしましました。
毛沢東と金日成(キム・イルソン)とスターリン。
金日成は、中国の毛沢東から兵力を、ソ連のスターリンから兵器の援助を受けて、朝鮮半島の統一をめざして開戦を決意します。
1950年6月25日、北朝鮮が奇襲的に南進しました。韓国では625戦争と呼ばれています。
韓国軍は追い詰められますが7月1日にアメリカの地上軍が入ってきます。
この戦争で多くの人々が亡くなりました。
まだ発掘されていない遺骨が15万人分あります。これはレプリカ。
「タダで自由は与えられない、自由な生活はこの人たちの犠牲のうえにある」というメッセージを表した空間。
北朝鮮の高射砲。アメリカの戦闘機を撃墜するために、ソ連から提供されたもの。
バイクも500台が提供されました。
開戦当初は、戦闘準備が整っていない韓国側の国連軍。韓国側には1台も戦車がありませんでしたが、北朝鮮側はソ連が242台の戦車を用意していました。 戦闘機の数も10倍以上の差がありました。
ソ連が北朝鮮に提供していたT34戦車。国連軍はこれに対抗する武器がありませんでした。
開戦後まもなくソウルは戦場になってしまします。
ソウル避難民のようすを再現した展示です。
韓国初の戦闘艦ハクトウサン。韓国がアメリカの実習船を購入して実戦配備。その2か月後に朝鮮戦争が始まりました。
開戦初期は、韓国には戦闘機がなかったので、連絡機から素手で爆弾を落としていました。
アメリカが最初に投入した地上部隊が「スミス部隊」でした。当時日本の熊本に駐屯していました。
日本の大学に通っていた韓国人の学生も本国に帰り参戦しました。学生が持っていた慶應・明治・早稲田など、大学の帽子やバッジが展示されています。学生たちは通訳の仕事に活用されたそう。
戦死した義勇軍の17歳の兵士が残した手紙「同じ民族がなぜ殺し合わなくてはならないのですか?」「お母さんに会いたいです」
上陸作戦のため、佐世保、神戸、横浜から米艦艇が出港しました。
仁川への上陸作戦が成功し、韓国軍・国連軍は北朝鮮軍を制圧直前まで追いつめますが、中国共産党軍の反撃をうけて後退します。
当時の北朝鮮軍の服。
中国共産党軍の武器。
中国軍の戦術は人海戦術です。武器より兵士の数が多く、フエやドラなどを持った兵士がいたそうです。中国軍は夜にあらわれて、楽器を鳴らし、声を上げながら攻撃してきました。国連軍を不安にさせる心理作戦でした。
戦闘の様子が実寸の模型などで見ることができます。
砲兵も実物大でリアル。
停戦協定の調印がされる様子も再現しています。
韓国軍と国連軍の被害は、戦死者は17万人、負傷者は55万人、行方不明者は4万人、合計77万人が被害を受けました。
戦争記念館は規模も大きく内容も充実しているので、じっくり見たい人は半日以上時間をとったほうが良いと思います。展示物の見せ方にも工夫があって、飽きずに楽しめました。