2019.11.29
あいちトリエンナーレで展示中止になった「平和の少女像」(慰安婦像)について考えたことをまとめました。結論としては、国家の戦争加害を批判することは「日本人へのヘイトスピーチ」とは別次元の話だと思います。
この少女像を見て戦争の愚かさや加害の歴史を感じるのが普通かなと思うんですが、名古屋市の河村市長やネトウヨたちはそうではないようです。
「日本人の心を踏みにじるようなもの」という発言は、河村市長の個人的な不快感を述べたに過ぎないし、「踏みにじられた」と感じるということは作品のメッセージを理解していないからでしょう。
平和の少女像は旧日本軍、大日本帝国の加害の歴史を語るものです。日本人を攻撃するためではなく被害を繰り返さないことを願って、日本政府と韓国社会への抗議のために作られました。
作者も言ってますが、そもそも平和の少女像は「慰安婦被害の歴史を記憶し、人権のためにたたかい続けるハルモニ(おばあさん)をたたえ、運動を継承するためのもの」で、高須克弥などが言う「反日の象徴」ではありません。
[特集]「不自由」な国・日本
インタビュー キム・ウンソン、キム・ソギョン(「平和の少女像」作者、彫刻家)
安易に白黒をつけてはならない ヘイトスピーチと表現の自由 / 森 達也
「不寛容の時代」にどう向き合うか 言論の多様性がメディアの責務 / 外岡秀俊
問題の本質は「表現の自由」ではない 差別扇動に国も加担した「ヘイト問題」 / 安田浩一 ほか